学校法人鶴学園の校祖鶴虎太郎先生は、明治29年、広島の地に私塾の「数理学会」を開かれてから、昭和26年12月に召天されるまで、長きにわたり一貫して私学教育に携わられ、全身全霊を注がれました。その間、多くの学生・生徒の教育にあたられましたが、様々な事情により勉学を中途で放棄した学生の中に、学費の捻出が困難な者が多数いることに心を痛められ、何とか奨学金を給付できるよう奨学会の創設を考えておられました。しかしながら、教育事業に追われ、その夢を実現するには至りませんでした。
そこで、鶴虎太郎先生の残された僅かの財産(主に香典であった)を奨学会創設の基金にすることを先生の遺族の方々が提案され、その後、学校法人鶴学園創設者の鶴襄先生(鶴虎太郎先生の四男)が中心となられ、学園内外の方々からの寄付金や、慶弔諸事の返礼金の一部をご寄付いただくなどして、徐々に基金を大きくしていきました。その後も、趣旨に賛同された一般の方々の大きな善意に支えられ、昭和43年6月に「財団法人鶴虎太郎奨学会」の創設に至りました。
さらに、広島県知事から公益財団法人への移行認定を受けて、平成26年4月1日「公益財団法人鶴虎太郎奨学会」に名称を変更しました。
明治3年8月25日 |
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福岡県柳河町(現柳川市)に生まれる |
明治23年 |
福岡県三潴郡間小学校教員となる |
明治25年3月 |
広島市育英家塾教師となり、後に広島市に数理学会を自ら創立。
その後、名称を究数学院と改める。 |
明治40年4月 |
広陵中学校(現広陵高等学校)設立を文部大臣より許可され同校の校長に就任する | 昭和13年 |
広島電気学校を設立する |
昭和20年 |
広島に落とされた原爆により学校は一瞬にして灰となる。 昭和21年東海田町の旧海軍航空廠の建物を借り学校を復興する |
昭和23年 |
広島電機高等学校を設立し、校長に就任する |
昭和26年 |
学校法人広島電機学園を設立する |
昭和26年12月30日 |
満81歳の天寿をまっとうして逝去する |
名称 | 公益財団法人 鶴虎 太郎奨学会 |
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理事長 | 鶴 衛 |
行政庁 | 広島県 |
目的 | 学業優秀・品行方正でありながら、経済的理由により修学が困難な鶴虎太郎先生の教育精神を継承する学校の在学生に対し奨学金給付による支援を行い、もって社会有用の人材を育成することを目的とする。 |
事業内容 | 奨学金の給付 |